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「ダンス・ダンス・ダンス」の音楽を紹介

「ダンス・ダンス・ダンス」の音楽

ダンス・ダンス・ダンスの劇中曲

ダンス・ダンス・ダンス

出版社:講談社文庫
単行本発売日:1988/10
文庫:上415ページ 下408ページ

上 : P.18
ラジオからは単調なヒューマン・リーグの唄が聞こえている。ヒューマン・リーグ。馬鹿げた名前だ。なんだってこんな無意味な名前をつけるのだろう?
上 : P.19
昔の人間はバンドにもっとまともな節度のある名前をつけたものだ。インペリアルズ、シュープリームズ、フラミンゴズ、ファルコンズ、インプレッションズ、ドアーズ、フォア・シーズンズ、ビーチボーイズ
上 : P.35
僕は猫の死骸をスーパーマットの紙袋に入れて車の後部席に置き、近くの金物屋でシャベルを買った。そして実に久し振りにラジオのスイッチを入れ、ロックミュージックを聴きながら西に向かった。大抵はつまらない音楽だった。フリートウッド・マック、アバ、メリサ・マンチェスター、ビージーズ、KCアンド・ザ・サンシャインバンド、ドナ・サマー、イーグルズ、ボストン、コモドアズ、ジョン・デンヴァー、シカゴ、ケニー・ロギンズ……。そんな音楽が泡のように浮かんでは消えていった。くだらない、と僕は思った。ティーン・エイジャーから小銭を巻き上げるためのゴミのような大量消費音楽。
でもそれからふと哀しい気持ちになった。
時代が変わったのだ。それだけのことなのだ。
上 : P.35
僕はハンドルを握りながら、僕らがティーン・エイジャーだったころにラジオからながれていた下らない音楽を幾つか思い出してみようとした。ナンシー・シナトラ、うん、あれは屑だった、と僕は思った。モンキーズもひどかった。エルヴィスだってずいぶん下らない曲をいっぱい歌っていた。トリニ・ロペスなんていうのもいたな。パット・ブーンの大方の曲は僕に洗顔石鹸を思い起こさせた。フェビアン、ボビー・ライデル、アネットそれからもちろんハーマンズ・ハーミッツ。あれは災厄だった。次から次へと出てきた無意味なイギリス人のバンド。髪が長く、奇妙な馬鹿気た服をきていた。いくつ思い出せるかな?ハニカムズ、デイブ・クラーク・ファイブ、ジェリーとペースメーカーズ、フレディーとドリーマーズ……。きりがない。死後硬直の死体を思わせるジェファーソン・エアプレイントム・ジョーンズ――名前を聞いただけで体がこわばる。そのトム・ジョーンズの醜いクローンであるエンゲルベルト・フンパーディング。何を聞いても広告音楽に聞こえるハーブ・アルパートとディファナ・ブラス。あの偽善的なサイモンとガーファンクル。神経症的なジャクソン・ファイブ。 同じようなものだった。
何も変わってやしない。いつだっていつだっていつだって、物事の在り方は同じなのだ。ただ年号が変わって、人が入れ替わっただけのことなのだ。こういう意味のない使い捨て音楽はいつの時代にも存在したし、これから先も存在するのだ。月の満ち干と同じように。
上:P.36
僕はぼんやりとそんなことを考えながらずいぶん長く車を走らせた。途中でローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」がかかった。僕は思わず微笑んだ。素敵な曲だった。「まともだ」と僕は思った。

上:P.37
アナウンサーがここでオールディーズを一曲、と言った。レイ・チャールズの「ボーン・トゥー・ルーズ」だった。それは哀しい曲だった。「僕は生まれてからずっと失い続けてきたよ」とレイ・チャールズが歌っていた。

上 : P.75
元気を出すために「フィガロの結婚」序曲をハミングまでした。でもそのうちに、それが「魔笛」序曲であるような気がしてきた。考えれば考えるほど、その違いがわからなくなってきた。
上 : P.78
僕はホテルの理髪店に行ってみた。清潔で感じの良い床屋だった。混んでいて待たされるといいのにと期待していたのだが、平日の朝だったからもちろんすいていた。ブルーグレーの壁には抽象画がかかり、BGMに小さくジャック・ルーシェプレイ・バッハがかかっていた。そんな床屋に入ったのは生まれて初めてだった。そんなのはもう床屋とも呼べない。そのうちに風呂屋でグレゴリー聖歌が聞けるかもしれない。税務署の待合室で坂本龍一が聞けるかもしれない。
上 : P.83
五階建てのビルの地下にあるこぢんまりしとしたバーで、ドアを開けると程よい音量でジェリー・マリガンの古いレコードがかかっていた。マリガンがまだクルー・カットで、ボタンダウン・シャツを着てチェット・ベイカーとかボブ・ブルクマイヤーが入っていた頃のバンド。昔よく聴いた。アダム・アントなんていうのが出てくる前の時代の話だ。
アダム・アント
なんという下らない名前をつけるんだろう。
僕はカウンターに座って、ジェリー・マリガンの品の良いソロを聴きながら、J&Bの水割りを時間をかけてゆっくり飲んだ。
上 : P.127
エレベータはずっと地階にとどまったままだった。この時刻にはもう利用者は殆どいないのだ。天井のスピーカーからBGMが小さく流れていた。ポール・モーリアの「恋は水色」だった。

上 : P.128
カーペットは深い赤で、柔らかく上質だった。足音も聞こえない。あたりはしんと静まり返っていた。BGMがパーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」に変わった。僕は端まで歩くと回れ右をして途中まで引き返し、客用のエレベーターで十五階に下りた。

上 : P.137
白い歯を見せてにっこりと笑い、優雅に小便をする。ウクレレを持たせたらナイルの河岸に立って「ロカフラ・ベイビー」でも歌いだしそうである。こういう役は彼にしかできない。
上 : P.139
でもジョディー・クレオパトラに夢中になっているのは彼だけではない。真っ黒なアビシニアの王子も彼女に恋焦がれている。彼女のことを考えると思わず踊りだしてしまうくらい好きなのだ。これは何といってもマイケル・ジャクソンが演じなくてはならない。彼は恋ゆえにアビシニアからはるばる砂漠を越えてエジプトまでやってきたのだ。キャラバンの焚き火の前でタンバリンか何かを持って「ビリー・ジーン」を歌い踊りながら。星の光を受けて目がきらりと光ったりするのだ。

上 : P.144
馬鹿みたいな話だけれど、ポール・モーリア・グランド・オーケストラの「恋は水色」が聴きたかった。今あのBGMが聞こえたらどんなに幸せなことだろうと思った。どんなに元気づけられるだろう。リチャード・クレーダーマンだっていい。今なら我慢できる。ロス・インディオス・タバハラスだって、ホセ・フェリシアーノだって、フリオ・イグレシアスだって、セルジオ・メンデスだって、パートリッジ・ファミリーだって、1910フルーツガム・カンパニーだって、なんだっていい。なんだって今なら我慢する。なんでもいいから音楽が聴きたかった。あまりにも静かすぎるのだ。ミッチー・ミラー合唱団だって我慢する。アンディー・ウィリアムズアル・マルティーノがデュエットで唄っても我慢する。
もうよせ、と僕は思った。下らないことを考えすぎる。

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